top of page

邪馬台国発見 第10部「最終章」

第10部は総集編として、マクモニーグル氏による透視結果がまとめられる

★中国雲南省から奄美を経由して日本にやってきたヤマト部族。奄美大島北部 笠利町に拠点を築いた彼らは南洋貝の交易などを通じ、本土進出の機会を虎視眈々とうかがっていたのだ。赤木名グスク跡の小山は部族の祭祀場だった。火を用いた祭祀が行われていた。

★やがて九州に進出したヤマト部族は有明海周辺を拠点に、吉野ヶ里、博多湾、山口へと拡大していった。そして山口県長門で卑弥呼が産声をあげた。

★卑弥呼が生まれた頃、倭国は大乱の時代。出雲の大伯父は大乱を鎮めるため策に打って出た。偉大なシャーマンへと育った卑弥呼を諸国共通の王に推薦したのだ。

★卑弥呼は夏は奈良、冬は山口と二カ所の居城を構え、連合国を統治した。卑弥呼の擁立により倭国には平和が訪れた。卑弥呼の時代、コメの生産は増え、交易が拡大し、倭国は大いに繁栄した。こうして日本の基礎が築かれた。

マクモニーグル氏のコメント

「奈良平野は実質的な権力が誕生した場所だ。最初の王国につながる権力だ。部族が一緒になり、コメがもたらされ、開墾が始まった。より大きな部族による協業だ。平和、交易、権力がもたらされ、全ては組織化された。ここ(奈良平野)は巨大なコメの生産地だ。権力が拡大していった場所だ」

「卑弥呼には子供がいなかったと思う。大切な男性もいなかったと思う。彼女の人生は孤独だったのだろう」

★日本の礎を築いた卑弥呼。しかし、その生涯は孤独だった。卑弥呼亡きあと再び戦乱ののち宗女台与が王位につき、「夏の居城」に住んだ。しかし、台与の権威は名目だけ。連合はすでに崩壊を始めていたという。

★すきを見計らうように、卑弥呼の宿敵狗奴国が邪馬台国連合内に進出を始めた。

★さらに同時期の九州では新しい渡来系の一派が勢力を拡大し始めた。大陸から騎馬遊牧民の流れをくむ一派が長崎に上陸したのだ。この一派は馬を戦闘兵器として使う術を心得ていた。

★こうした新勢力の拡大のもと、やがて新しい秩序が形づくられていった。邪馬台国連合は、日本最初の統一国家ヤマト王権へと変貌を遂げるのである。卑弥呼の出身部族「ヤマト」の名前は統一国家へと受け継がれていった。伝説となった卑弥呼は、太陽の女神への信仰を生み出した。

★日本の新しい夜明けが始まった。マクモニーグルによる透視の旅は「空白の4世紀」の解明に向け、まだまだ続く。

 

DVD「邪馬台国発見」は以上のようなテロップで終わっている。

調査チームによる透視プロジェクトは、この後、天皇家のルーツと「神武東征」の物語へターゲットを移していく。


特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page