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卑弥呼の場合と同様に、透視はターゲットの書かれたメモを封筒に入れるところから始まった。今回のターゲットは

 

   「Jinmu Tenno,first Emperor of Japan」

 

         そして与えられた質問は2つ。

          「ターゲットを描写せよ」
         「ターゲットはどこから来たか」

最初に届いたのは、マクモニーグル氏が透視したターゲットのイメージだった。身長168センチ、体重91~100キロ。非常に筋肉質で頑丈な体つきをしている男性。典型的なモンゴル人の風貌を持ち、生涯にわたり旅を続けた人物だという。

マクモニーグル氏はむろん、ターゲットが「神武天皇」であることを知らない。透視で浮かんだこの男性を、彼は「ムイジン」と呼びたいという。理由は分からないが、その呼び名がしっくりくるのだと。



 

神武天皇のモデル? 中国大陸から渡来してきたムイジン

以下、月刊『ムー』361号の記事に沿って、マクモニーグル氏の透視結果の概要を見て行こう。

透視によると、ムイジンの一族は中国内陸部のステップ地帯から移動してきた騎馬遊牧民。ムイジンの父は一族の長だった。マクモニーグル氏が示した地図によると、彼らの住んでいた土地は、現在の甘粛省付近と思われる。その土地がやがて邪悪な武将の支配下に入ったことから、一族の旅が始まった。

彼らは黄河に沿って船団で移動した。ムイジンが生まれたのは「大河の横の大きな町」で、黄河に近い西安近郊ではないかと推測される。ムイジンは一族がしばらく滞在していた町で、最初の妻を迎えた。「男勝りでワイルドな女性」だったという。

 

一族は行く先々で紛争を解決し、その噂は中国各地に広まった。大きな湖のすぐ南にある町、現在の徐州あたりと思われる場所に滞在した時、土地を支配していた「皇帝の義理の兄弟」は、ムイジンの父親に同盟を申し入れた。一族はこの町に長く住んだ。土地と建物を与えられ、作物を植え、年貢を納めた。 


 

旅のはじまり

町へ帰ったムイジンに、皇帝からの召喚状が届いていた。皇帝は当時10歳。後見人役の母親が一族の戦功に興味を持ったのだという。この皇帝は西暦246年に生まれ、260年に即位した魏朝最後の皇帝・曹奐(そうかん)であると推定される。

ムイジンは皇帝に謁見した。皇帝の母親はムイジンに敬意を抱いたが、皇帝自身はそうではなかった。皇帝はムイジンに、朝鮮半島南部で起きた2つの勢力の間の紛争を解決するよう命令。妻子供を人質に取られたムイジンは、朝鮮への出征命令を受け入れた。

西暦256~258年頃、南方の4つの町で戦争が始まり、一族も参戦した。戦いが始まって2年目の冬にムイジンの父が負傷し、春を待たずに亡くなった。一族の長を引き継いだムイジンは57歳になっていた。

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