邪馬台国発見 第1部「透視について」
第1部では、透視の方法についてマクモニーグル氏がインタビューに答えている インタビューの要点 ★透視ターゲットの属する年代を推測する際のイメージ=「目盛りのついたルーラー」 ★まずターゲットの個性、容姿、キャラクターなどが断片的に見え、それらが積み重なってリアルな人間像が形...
邪馬台国発見 第2部 「部族の起源」
第2部からは、今回のターゲット「卑弥呼」の透視に入っていく 透視結果 ★卑弥呼の生まれた部族の祖先は、中国雲南省まで起源をたどれる。部族の名は「ヤマト」。4枚の花弁を持つ花がシンボル。 ★部族はベトナム、台湾、奄美大島を経由し、船で九州に上陸した。...
邪馬台国発見 第3部「九州上陸」
第3部では、九州に上陸したヤマト部族の足取りを追う 透視結果 ★ヤマト部族の最初の上陸地は熊本。ただし、そこには本格的な拠点を作らなかった。 ★ヤマト部族が本格的な拠点を築いたのは長崎、佐賀、福岡にまたがる有明海沿岸。 ★ヤマト部族は一時期、吉野ヶ里周辺を手中におさめ、拠点...
邪馬台国発見 第4部「卑弥呼の生誕地」
第4部では、透視のターゲットである卑弥呼の生い立ちに迫る 透視結果 ★マクモニーグル氏が透視した卑弥呼の顔(イラスト)は、目鼻立ちのくっきりした南方系。 ★卑弥呼が生まれる頃、ヤマト部族の同族や支族は西日本一帯に勢力を拡大していた。...
邪馬台国発見 第5部「女王卑弥呼」
第5部では、卑弥呼が女王に就任するに至った経緯が明かされる 透視結果 ★卑弥呼が女王になる直前、倭国は戦乱の時代にあった。 ★列島西部ではヤマト部族を中心に初期ヤマト連合が出来上がっていた。 ◎北部九州と長門周辺 →卑弥呼の父の勢力範囲 ◎熊本南部~鹿児島...
邪馬台国発見 第6部「夏の居城」
第6部では、卑弥呼が女王として迎えられた畿内の居城について考察される 透視結果 ★卑弥呼の「夏の居城」は、奈良県宇陀市榛原(はいばら)の鳥見(とりみ)山にあった。周囲を柵で強固に守られた高地性集落で、2000人が住んでいた。...
邪馬台国発見 第7部「卑弥呼の祭祀場」
第7部では、女王となった卑弥呼の生活が透視される 透視結果 ★大神(おおみわ)神社がまつる奈良県三輪山は、卑弥呼の「プライベートな祭祀場」。卑弥呼の出身部族と関係の深い場所と考えられる。 ★奈良県桜井市の鳥見(とみ)山は、卑弥呼の「公式の祭祀場」。ここで行う儀式は義務だった...
邪馬台国発見 第8部「冬の居城と金印」
第8部では、卑弥呼の「冬の居城」と、魏の皇帝から授かった金印の行方が考察される 透視結果 ★卑弥呼の「冬の居城」は山口県下関市豊田町の豊田湖畔にあった。上部が平らな小山の上に建物群が広がり、砦のようになっていた。 ★卑弥呼が女王になってからも山口に帰った理由のひとつは「交易...
邪馬台国発見 第9部「卑弥呼の墓」
第9部では、卑弥呼が葬られた場所が透視される 透視結果 ★卑弥呼は冬の寒い日、肺炎を悪化させ、「冬の居城」で死去。居城の隣に墓が築かれた。 ★卑弥呼の墓は、前方後円墳。現在は安徳天皇の陵墓参考地に指定されている豊田湖畔の墳墓。...
邪馬台国発見 第10部「最終章」
第10部は総集編として、マクモニーグル氏による透視結果がまとめられる ★中国雲南省から奄美を経由して日本にやってきたヤマト部族。奄美大島北部 笠利町に拠点を築いた彼らは南洋貝の交易などを通じ、本土進出の機会を虎視眈々とうかがっていたのだ。赤木名グスク跡の小山は部族の祭祀場だ...